歯に衣着せぬ表現で描く、石原慎太郎氏のおすすめの作品8選をご紹介させていただきます。
大学在学中の1956年に「太陽の季節」という文壇デビュー作品で、第34回の芥川賞を受賞します。
この作品で「太陽族」(既成の秩序を無視して、無軌道な行動をする若者たちのこと)が生まれる契機となります。
また、同作品の映画化で、弟、裕次郎氏が俳優としてデビューすることとなります。
石原慎太郎おすすめ作品8選をご紹介~未来の為に大きな視野で~
1968年に第8回参議院議員通常選挙に、全国区から自由民主党公認で立候補し、史上初の301万票を集めて、初当選を果します。
その後は無所属で衆議院に鞍替えしたり、東京都知事選に次点で敗れたりしますが、1976年に再び自由民主党公認で、衆議院で国政復帰します。
1995年、議員在職25年表彰を受けて、衆議院本会議場での演説中に「日本の政治はダメだ、失望した」という趣旨の発言を行い、衆議院議員を辞職します。
議員辞職から4年後の1999年4月に、並み居る政治家を尻目に、再び東京都知事選挙に立候補し当選を果します。
以降、4期14年の長期政権を築き、様々な政策を推し進めました。
そんな石原慎太郎氏のおすすめの作品8選をご紹介させていただきますので、お楽しみください。
1、『太陽の季節』
先進性と現代性を秘めた5編からなる斬新な話が綴られています。
その当時、作品が発表されるやいなや、日本社会に衝撃を与え、賛否両論の嵐と共に「太陽族」なる者たちを生み出し、芥川賞も受賞した作品です。
ここがポイント
欲望に駆られるがまま、本能の導きに沿って活動する若者たちは、非論理的であり、暴力的であるのに、引きこまれてしまいます。
この作品を読んだ、当時の若者の衝撃はいかなるものだったのでしょうか。
その当時戦後10年経ち、戦争という呪縛から解き放たれた、国家からの抑圧や全体主義的な政策の元にない、ある意味自由な生き方を象徴しているような作品です。
2、『法華経を生きる』
石原氏が法華経を哲学とし、自身や身内を含む周りの人を十如是(じゅうにょぜ)と結びつけて、解釈を述べている話です。
ここがポイント
いわゆる一般的な法華経の解釈論ではなく、石原氏自身の生き方の根本思想としての法華経を自分なりに解釈したものとして受けとめることができます。
従って、石原氏自身のスケールの大きさと、法華経の思想としてのスケールの大きさが重なっているように感じられ、興味深く読むことができます。
石原氏の身近な人の死(父、弟)を通して、分かり易く法華経を説明してくれている作品です。
3、『完全な遊戯』
石原氏の独特な世界を作り出している5編からなる初期の短編集です。
ここがポイント
お金に不自由することなく、愉しければとりあえず、倫理観など無縁な刹那的生き方をする若者たちが描かれています。
彼等を善とも悪とも断ずることなく、そのように生きるしかない乾いた空虚さなども垣間見ることが出来ます。
当時としては斬新だったであろう、若者のリアルな生態が描かれた作品です。
4、『弟』
兄としての石原慎太郎氏が、幼少期からの弟、裕次郎氏が亡くなるまでの思い出を綴った話です。
父を亡くして以来、財産が底をつく前に成し得た、慎太郎氏の文壇デビューがあったのです。
ここがポイント
それを成し得たのは、弟、裕次郎氏の放蕩体験の見聞であり、高度成長、大量消費の幕開けという時代が求めるもの全てが、この兄弟には備わっていたのです。
週に2作も作り続ける当時の映画界にあって、スターの存在は必要不可欠であり、各映画会社が、スターを囲い込む必要から生まれた5社協定に反旗を翻したのも、この兄弟だったのです。
その時代をリードし、その時代に抗い続けた兄弟であり、片や病苦に苛まれ世を去った弟、裕次郎氏、そしてそして兄、慎太郎氏も政界を引退します。
遠い昭和の兄弟の絆が感じられる作品です。
5、『我が人生の時の時』
不思議と感動の体験が綴られた、四十編からなる掌編群です。
全体を貫くのは、やはり生と死のテーマであり、死という厳然とした事実の放つ光が、半ば逆説的に生きている者の生を鮮明に照らし出しています。
スリリングな海の物語やゾクっとする怪談話など、一人の人間の中に貯蔵された体験が、臨場感を含んだ文章で訴えかけてきます。
人生の折々に人を不意打ちにする感動や、戦慄もまた、そうした類のものなのです。
ここがポイント
人生のピークというものは、誰しも持っていると思いますが、石原氏ほど大きな波を体験し、それを克明に表現できる人は、なかなかいないのではないだろうかと思ってしまいます。
6、『老いてこそ人生』
石原氏が古希を迎えた時に、老いについての思いを綴ったエッセイです。
老いていくことは、誰も避けては通ることの出来ない道であり、老いていくことを嘆くよりも、老いを迎え討ち味わう事、そしてそしてその先に死があり、一歩ずつ近づいている現実があるのです。
一つひとつのエピソードは、石原氏らしい豪快さと自慢げなものもありますが、何かを懐かしみながら、噛みしめながら話しているような雰囲気で、身に沁みてしまいます。
ここがポイント
時間を大切にして、老いと仲良く暮らしていくことを教えてくれる作品です。
7、『天才』
石原氏がかっての政敵であった田中角栄氏について、一人称で綴った話です。
田中角栄という男の数奇な才能をありありと描いていて、人間の脆さ、そして人生において大切にさせるものは何かという事が分かります。
金や権力に溺れる人間と、それを操る角栄氏の対比は真の人間の姿を見せています。
老いて政治というものが、自身の手から離れた時に、彼が感じたのはただ、喪失感だったのではないでしょうか。
いくら金があろうと、それで幸せは得ることは出来なく、ましては権力など、いつかは手から離れていくのです。
角栄氏は権力は水のようだと表現していて、最後に彼が、希望を見出したものは、家族だったのです。
ここがポイント
政界を通じて戦後の日本をこれだけ変貌させ、それ故アメリカに睨まれ嵌められた天才だったのです。
8、『凶獣』
2001年6月8日、大阪教育大付属池田小学校で、8人の児童を刺し殺した宅麻守について書かれた話です。
宅麻守が引き起こした凶悪事件は、どのように生まれたのか、生い立ち、供述、証言、担当した臨床心理士へのインタビューで明らかにされていきます。
強姦や犯罪を何度も犯し、人間性のかけらもない獣のような存在であったのです。
宅麻の心理など到底理解しがたいのですが、彼に強迫や強姦もどきにあいながらも、結婚した女性たちの心理もまた理解できません。
ここがポイント
長年にわたる歪んだ負の感情の蓄積が、このような結果になってしまったのでしょうか。
まとめ
石原慎太郎氏の作品のご紹介は、お楽しみいただけましたでしょうか。
まだ読んでいない作品がありましたら、是非この機会に読んでみて下さい。
そして、石原氏の独特な世界観に浸って下さい。